先天的・後天的なLGBTの性選択を心理分析。生きづらい社会の居場所

LGBT, 心理学, 社会心理

広義にLGBTと呼ばれる人々が社会的性*を否定して新しい性を選択するのはなぜでしょうか。
※ここでは「社会的性」を’解剖学上の性を自分の性として認識し、性対象が異性である’と定義します。

私はLGBTには先天的なものと後天的なものがあると考えており、多様性という現代社会にLGBTという概念が浸透してきた結果、後天的なLGBTの割合が増えてきたのではないかと思います。

後天的なLGBTとは

後天的なLGBTとは、社会的性に対する不満や挫折・異性に対する憧れ・流行や新しい概念に対する変身願望など、何かしらのきっかけから生じた自分の気持ちを曲解した結果、性への認識が歪み、社会的性を否定して理想の性を選択してたものであると考えます。

後天的なLGBTが新たな性を選ぶ心理を考察

まずは、どのような気持ちの変化によって新たな性を選択するようになるのか。その気持ちの変化はどのような出来事によって引き起こされるのかを考えていきます。

社会的性に対する不満や挫折

物心がつき、自分の社会的性がわかるようになってからLGBTを選択するまでに送ってきた人生の中で、社会的性が原因で味わったネガティブな経験によって自分の性を肯定できなくなったことが理由で新たな性を選択するようになった。

身体的揶揄や侮辱、はずかしめ
性に起因する生理的苦痛
手に入らなかった性的快楽
女性特有のコミュニティ、男社会の力関係・暴力性(受け入れがたい本能的思考)
自分が魅力を感じる行動を自分の性を理由に否定され、一方肯定される異性
男らしさ・女らしさ(個ではなく性で括られ求められる本能的文化)

異性への憧れ

自分とは異なる性であるからこそ、その性が持つ身体的・社会的なデメリット(身体的・社会的な)が適用されない。よってメリットに対する憧れを強く感じる。

また、自分の性的肉体能力・メリットを持って異性として振る舞うことで、異性の持つ性的デメリットをある程度克服したLGBTになれる。

または、社会的性を無視した行動をとった時、普段よりも上手く物事が運び充実を感じたことによってこの性こそ本来の自分の性だという思いが強くなる。(確信的か勘違いか問わず)

流行や新しい概念に対する変身願望

流行している新しい概念に同調することで、注目を集め、自己肯定感・自己認識を確かにしたい。
表面上LGBTを公言するが、心理的には性の不一致を感じていない場合もある。

または、自分の置かれている現状に不満を感じ、上手くいっていない理由付けや逃避として、環境を変え新たな生活をするための手段としての新たな性を選択

<性の不一致とは異なる欲求>
認められたい・認めたい・注目されたい・安心したい・言い訳したい・正当化したい・特別、ユニークな存在でありたい・コミュニティに加わりたい・自分を肯定するために劣った人と仲良くしたい・慰められたい・個性をアピールしたい・自分を理解したい・自分のことを知ってほしい

先天的LGBTについて

先天的LGBTとは、物心がついてきた時すでに自分の感じる性と社会的性に不一致を感じている人と定義します。

例えば魂に性という区別がなく、輪廻転生という現象が存在したと仮定した時、転生で生きてきた性別の経験に影響を受けているのではないかと考えることができます。これは心・魂・意識というものが密接に関わっているからです。

LGBTには生きづらい社会

  • 現状、LGBTという概念に対する社会的な理解は浸透していますが、社会的システムや構造が新しい概念を受け入れていないため、社会的な不便さを感じてしまうこと。
  • そもそも解剖学上の性の違いを現代の科学技術で完全に変性・再現することができていないため、身体的理想を満たすことができないこと。
  • 浸透しているとはいえ、まだまだ受け入れられない人が多く、そういった人間関係の中で生活しなければならないこと。

こういった理由から自分の理想とした性的社会生活を実現できず、多くのLGBTの人々は生きづらさを感じていることと思われます。

LGBTの浸透とユニセックスデザインの普及

LGBTの浸透について考えてみると、近代、男女共同参画社会化の流れで性別による役割分けがこれまでとは異なってきました。

そして、LGBTから派生した様々な性認識も多様性という思想のもと認知されてきています。

しかし、その新しい多様な性に社会が対応しているかというと、LGBTの人々や彼らと接する社会的性を持つ人々はお互いに’生きづらさ、やりづらさ’を感じているように思います。

その理由の一つとして、性的マイノリティ、つまり少ない人々のために社会の構造を変化させる余裕がないからではないかと考えます。

例えば障害を持った人のために公衆トイレに専用の区画ができたり、ユニバーサルデザインの概念が1974年から提唱され現代の様々なところに普及されていますが、社会のどこでもそういった人々が何不自由なく行動できるようになっているかと言われればそうではなく、50年経っても最低限必要であろうところを主軸に徐々に普及している段階です。

そう考えると、浸透してきたばかりのLGBTの多様性に対応できるユニセックスデザインが社会システムに広まっていくのにも長い時間がかかるのではないかと考えられます。

自分たちに心地よい居場所を作る

LGBTへの理解がある人のいる環境で生活することが生きづらさを和らげるために必要なことではないかと思います。

ただ、理解を求めるならば相手の立場に立ち、求める側として主体的に努力する必要があり、理解を求めず周りの感覚を無視して自分を押し通すことをすれば、より摩擦を生んでしまいます。

多数派の構造の中でバランスをとるのは大変なことです。そんな中にいるからこそ、同じ感覚を持つ人たちと話せる自分の居場所をつくるようにしましょう。

社会の中に局所的に点在するLGBTの居場所

インターネットでそういったコミュニティを探すという方法をもありますが、最近では、LGBTの人たちが集まるお店などが各地でできているようなので、そういった所に足を運んでみても、安心できる居場所が見つかるかもしれません。

社会の側にLGBTコミュニティを創造する

積極的に活動できる仲間が集まったなら規模を拡大して、LGBTの人たちものびのびと過ごせるような組織や村単位のコミュニティなどを想像してみることもできるかもしれません。

自分たちで生み出した居場所なら、どこよりも安心できるのではないかと思います。

まとめ

LGBTの人々にとっての理想的な社会とはどのようなものなのでしょうか。

SF映画のように、魂とその入れ物である肉体を交換できるようになれば、自分の望む性的社会生活を送っている人同士が魂を入れ替えることができ、そうすれば相手の記憶や経験も自分のものと感じるので、自分として相手の人生を性的不一致なく送り始めることができそうですね。

もしくは理想的な人造ボディに記憶と魂を移せば好きな性を生きられそうですね。

批判を恐れずに言うなら、先天的にせよ後天的にせよ、社会的性とその暮らしに向き合った上で選択したことであれば、新しい性としての生活にも向き合って生きていけると思います。

しかし、自分のこれまでの人生と向き合わず逃げるように変化を選んでいる場合、新しい暮らしで直面した新たな困難を克服できなかった時の逃げ道がなくなってしまわないかという危うさを感じます。逃げることが問題なのでなく、自分の抱える課題と向き合わずに逃げてしまってもその場しのぎにしかならず、その課題は本質的な原因によって形を変えて付きまとってくるからです。

もちろん、当人が選択したことについて、その当人と関係がない人間がとやかく言うものではなく、その人生は尊重されるものだとも思います。

そういえば海外の馬飼の方に聞いた話ですが、自然界にもLGBTの概念は存在しており、群れの中にもたまにそういった個体が出現するそうです。

人間の社会には常識としての性認識が定着していますが、そういった社会的性と違った感覚を持ったとしても生物という視点で見ると自然なことのようです。

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